純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

ピクシーズが流れたらそれはもう青春『ザ・スーサイド・スクワッド』

人生最高のイドリス・エルバでした。
この映画を観ても僕はやっぱりDCEU最高傑作は『シャザム!』だと思ってますが、今作はむしろヒーロー映画最高傑作かもしれない。「ヒーローになる瞬間」を描いた作品は数多あると思うが(大いなる力には大いなる責任が伴う、みたいな)、今作ではむしろマッドマックスのマックスや西部劇の流れ者のように行きずりのような存在で、そこに怪獣映画をぶつけて、さらなるカタルシスをもたらしている。自分の命と娘を人質に取られて、「関係ない」敵であるはずの巨大怪獣が暴れる死地へと向かう決断(ここの「関係ない」という態度はアメリカ合衆国がとってきたスタンスと容易に繋がるし、スーパーマンを殺しかけた「因縁」とは裏返しの戦いにも見える)。これをヒーローと呼ばずに何と呼べばいいのか。

しかし最高得点をたたき出したのはもっと前の、雨の中塔へと歩きはじめる決戦前の場面。まさかピクシーズのあの曲がかかるとは思っていなくて、感極まって泣きました。気持ちが昂りすぎて自然と涙が出てくる、こんな体験をこの映画でするとは思っていなかった。この時点でもうGotG超え。彼らがスーツアップしているのはむしろ最初くらいで、どんどん汚れて脱いでいくのが新鮮だった。またエルバの話になるが、スーツのデザインが素晴らしくて、特にフルフェイスのマスクがカッコよくて(ギーガーのエイリアンぽい)、でもキャップやアイアンマンみたいに役者の顔を見せるためにマスクオフしてるのがほとんどなんだろうな……と思っていたらアレですよ、伝説のシーン(僕の中で)。「血が付いたタンクトップにマスクと腕だけ装備して、隠密行動?のつもりか複数のマッチョがこそこそ移動している」シーン。僕もハーレイよろしく目を疑いました。あそこでもう映画のお約束を越えてブラッドスポート=イドリス・エルバという実感が染みついた。この実感を最も体現しているのはハーレイだとは思うが、スーツと私服を雑にミックスしてある種の半裸状態で描くというのはかなりの発明だと思う。彼らはもちろん「ヒーロー」じゃないし、一般人ですらない。いわば仮釈放のような中途半端な身分であり、そうでありながら彼ら自身で選んだ「作戦」があの姿そのものなのだ。だからこそ前述したチームアップ(そしてスーツアップ)して戦う場面があんなに尊いのだ。このこそこそした動きも後半スターロを捉えた画面で小さく地面を走る彼らのカッコよさ、偉大さと呼応している。まあ、実際のシーンは合宿中に勝手に抜け出した中学生みたいな感じだけど。このダサさや笑いの、感動やエモさ(歓喜といってもよい)への飛躍がガン監督の腕だなあと思う。あそこでハーレイが初めて「救われる側になったことの感慨を漏らす」のもほんとにニクい脚本だ。

最後に、公開前のガン監督と樋口監督の対談が話題だったが、パンフでも樋口監督が興奮そのままに岡本太郎の『宇宙人東京に現る』やネズラの話をしてて笑った(ラットキャッチャー2のアレはベータカプセルっぽいと思った)。正直言ってグロい場面もかなり多くて、人もいっぱい死ぬんだけど、はぐれ者たちへの愛というか、やっぱりどこか人間賛歌になっている作品だと思う。最後の敵がヒトデ型の巨大怪獣というのはマーベルもといディズニーでは通らなかったのではないだろうか。あと、ラットキャッチャー2の人がインタビューで「イドリスとヴィオラ(スースクのボス)がネズミを怖がってたので「噛みませんよ」と教えてあげました」と話していて、やっぱりナナウエよりエルバが可愛かったよなと確信を持ちました。しかしブラッドスポート、外側は(幻の)デスストロークサイボーグ忍者みたいなハイテク装備で、中身はイドリス・エルバってほんと素晴らしいですね。はじめてフィギュアが欲しくなるヒーローでした。まあナナウエも中身スライだしめちゃくちゃかわいいんだけど。