純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

几帳面な悪魔『ライトハウス』

悪魔的な精密さで作られた、地獄へようこそ。パンフレットでロバート・エガース監督と『ヘレディタリー』のアリ・アスター監督による対談があったが、まさしく全てが計算されているような構造はアリ・アスター監督の『ヘレディタリー』『ミッドサマー』を思わせる。どちらも最終的に神/悪魔のような存在によって主人公たちの運命は決定されてしまう(そしてそれは映画の始まりに既に規定されている)。

本作はそれが画面構成やモノトーンの映像、や象徴的な意味を増殖させていく<灯台>やその上の<灯>、脱出不可能な島そして海、デフォーの神話的な語り、パティンソンの見る人魚など、最早そういった「意味」だけが島の上に散らばっているようで息苦しささえ感じる。ただその息苦しさは画面から放たれる苦しさともマッチしているのでそういう意味では見ていて違和感を感じることはない。プロメテウスとか、エイハブ船長とか、様々な物語が伏流のように流れているが、それを上回る狂気を放つのがこの二人の役者だと思う。映画の中の様々な意味を塗り潰すかのような演技で、もう凄すぎてちょっと笑ってしまう。まぁデフォーは昔から信頼しかしてないので、TENETとは全く違うパティンソンの演技にこれから来るであろう『ザ・バットマン』の期待は否が応でも膨らんでいく。

ただ、個人的な好みとしては「失墜し腑を啄まれるラスト」はあれはあれで好きなんですが、いくところまでいってしまう『ジャッリカットゥ 牛の怒り』の方が好きです。あの映画もアリ・アスター監督コメントしてたし。あの凄まじすぎるラストシーンが頭から離れない。書いていて最後にちょろっと思ったけど、「意味で固められた(ホラー)映画」って、たとえば黒沢清長回しとかで恐怖の瞬間を捉えようとする(ホラー)映画とは対極かもしれない。