純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

オバケなんてないさ。『こちらあみ子』

一晩経って、『こちらあみ子』がどんどん大切な映画になる。子どもの頃観た記憶が朧げにある大林宣彦の『マヌケ先生』とか大学生の頃の小津の『生れてはみたけれど』とかトリュフォーの『大人は判ってくれない』とか、子どもがそのままその世界にいることを描いた新たな傑作だと思う。

積読本になってしまっていた原作を読んでから行ったのだが、胸を抉られるような衝撃を抱えて映画館に行って、むしろ映画が持つフラットな視点が残酷なようでいて優しい。最後の保健室での「好きだ!」「殺す!」「好きだ!」「殺す!」というシーンの掛け合いを横から撮ってすぐソファの後ろに雪崩れ込んでいくショットとか、映像の持つドライブ感が原作の手触りとは違った「出来事」として観客に見ることを投げかけてくる。そういう意味では直接の要因でもある「ビスケット事件」を川向こうから他の小学生達に紛れたただの二人として引きで撮っているのも非常にクレバー。あの原作をよくぞここまで……という職人芸に惚れ惚れとした。井浦新も泣かせる。いまは青葉市子のサントラをずっと聞いている。25分という収録時間があみ子の持つあっけない時間感覚のようでドキドキする。突然「オバケなんてないさ」とあみ子の声がする。