純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

神話は3から始まる。『マッドマックス サンダードーム』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

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 ずっと観れてなかったマッドマックス3こと『マッドマックス サンダードーム』をついに観た。いやー……見事。空中決闘場もといサンダードームの中に入ってからはアクションによって見せるのかと思いきや、そこで行われる取引と裏切り、マックスの選択、攻守の反転、誰の側につくべきなのか?それとも、つくべきではないのか?という問いが物語の層を突き破って現れる。そして、マックスも、街の指導者たちも真に恐るべきはサンダードームの殻の表面に張り付いている民衆そのものであった……というものをビジュアルで表現し尽くしているジョージ・ミラーの力量に感服した。

 どこまでもセンスオブワンダーに満ちた作品だった。自分はこのシーンにフェリーニの『アマルコルド』の豪華客船のシーンみたいな感動を覚えたし、メル・ギブソンのマッドマックス三部作の中でも3作目のマックスが一番好きかもしれない。相変わらず口数は少ないが、常に揺れている。『マッドマックス』シリーズはよく一作目から二作目の変化がすごいと言われるけど、こうして見ると二作目のから三作目の変化の方が大きいような気もしたし、この後に『ベイブ』を撮るジョージ・ミラーの豊かな広がりを感じさせる素晴らしい作品だった。本当に優しい映画だと思うし、これを観てから『怒りのデス・ロード』を見ると、また一本マックスというキャラクターの繋がった糸が見えてくると思う。

 自分の悪癖として、三部作の二作目で満足してしまって、三作目を観ない……みたいな作品がままある。『ゴットファーザー PART III』とかもそうだ。やはり先入観なしに観てしまったほうが出会いも発見もより豊かになるんだなと反省した。

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 『フュリオサ』に備えて久しぶりに見返した。どこか動物的な……そういうマックスの演技ができるトム・ハーディの繊細さをとにかく堪能する。

そしてシャーリーズ・セロン演じるフュリオサは間違いなくこの映画の中で輝くトップスターであり、見返してみるとここまで彼女の過去を想像させる言葉が散らされていたのかと思った。「7000日よ」というフュリオサにとってはどこまでも生々しい、数字で答えるしかない時間。

 どこまでも、画面に映っている世界がアメイジングなものであると、こんなにも感じさせてくれる映画監督は、ジョージ・ミラーポール・ヴァーホーヴェンくらいではなかろうか。ヴィジュアルのイマジネーションとその実現力。そこにデヴィッド・リンチを加えてもいいかもしれない。そして彼らの作品には、強い女、いやもっと現代らしい言葉でいうならば、怒れる女性というものがまざまざと刻印されている。彼らは古くからフェミニストであり、正しく怒ろうとする芸術家であったろう。フュリオサが失われた故郷に辿り着く場面、そこで迎える夜、星を見ながら語られる人工衛星、テレビ番組ーー見返してみれば『マッドマックス サンダードーム』のあの子供達の言葉とまっすぐ繋がっているとやっと気づいた。この作品は走っている時間が全てではない。物語は受け継がれる言葉によってしっかり紡がれていたのだ。

 運転する男を何度も演じてきたトム・ハーディ(『ダンケルク』『オン・ザ・ハイウェイ』)は同時に"運転される男"も多く演じてきた(『ブロンソン』『ダークナイト ライジング』『ヴェノム』)。身体を誰かに投げ出すこと、身体を(刑務所の中に実在していたりする)誰かに捧げてしまうこと。メル・ギブソンが演じたマックスというキャラクターを乗りこなすかのように、一挙手一投足(その身振り手振りの細かさよ!台詞が少ないわけではないのに何であんなにマックスの身振りを覚えてしまうのか)がトム・ハーディによる『マッドマックス』の解釈であり、演じることの可能性を探るような自由を感じる姿だった。そしてフュリオサの目、イモータン・ジョーの目。決定的な場面では画面の中央に必ず目が置かれ、その役者の全存在がそこに映るかのようなすさまじさがある。それは常に運転者が外の世界を睨みつける角度だ。「俺を見ろ!」というのは彼らが死ぬ瞬間であると同時に、見られる存在であった彼らの存在が反転してこちらを眼差し返す瞬間として鮮烈だった。私達は彼らに見られていた。

 今回見返してみて、素晴らしいと思ったのはダレ場のように昔は感じていた「沼地」や「故郷」が全くのダレ場ではなく、むしろ物語の沸点は彼らが160日間の旅をやめ、引き返すことを決心する場面だった。あれほど印象的だったイモータン・ジョーの死も、ニュークスの死も過ぎ去っていく一瞬でしかなく、もっとも美しいのは彼らがついに一心となるあの瞬間だった。次点でマックスが名前をフュリオサに伝えるあの場面。名前を伝える、それは文字通りのプレゼントであり、あの瞬間にマックスは自分をフュリオサに捧げたのだと思うと泣けてきてしまう。あの場面のトム・ハーディの演技は本当に泣かせる……見返してよかった。唯一無二の金字塔のような作品だ。

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