純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

まとまりに欠ける『デアデビル:ボーン・アゲイン』シーズン2

f:id:is_jenga:20260621031459j:image『デアデビル:ボーン・アゲイン』S2完走した。
全体的にがんばっているなとは思ったが、やっぱりデアデビルのアクションシークエンスがこれまでに比べて見劣りしてしまうのと、話が進んでいるのかいないのかあんまりうまい脚本ではないなと思いながら観ていた。一方で終盤マードックが法廷に現れる場面では(傍聴している人々と一緒に)おおっ!!と立ち上がりそうになったし、やっぱりデアデビルというキャラクターの一番の核は夜のヒーロー活動それ以上に昼間の盲目の弁護士としての矜持があることだ。だからどうしてもフォギーが退場してからの『ボーン・アゲイン』は失速せざるを得ないし(回想パートで再登場するところはもれなくよかった)、フィスクとの決着が事実上法廷でつけられるというのはこのドラマの落とし所(というか落とし前?)として納得できるものだった。

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『ボーン・アゲイン』、フィスクを裏切りそうで踏みとどまって恋人を逃して仲間に殺されてしまう側近キャラのダニエルとか、やっぱり今作で魅力的なサブキャラクターは沢山いたので豊かな物語の土壌は感じつつも、あんなにカッコいいポインデクスターとか(彼はデアデビルよりも手を汚しているけどパニッシャーほど吹っ切れていないという中間に存在するとてもいいキャラクターだ)、やっぱり作劇上持て余してるんじゃないの……?とか思ってしまうのが勿体無い。カレン・ペイジに猛反発されながらポインデクスターを助けるデアデビルとか、見せ場はしっかり盛り上がるんだけど、全体的なストーリーラインに有機的に活かされるかというと微妙なんだよな……その点で言うとやっぱりジェシカ・ジョーンズの再合流とかも大して意味がなかったような……やっぱり勿体無いところ多いシーズンだったなぁ。

ただNetflix版デアデビルから多くのキャストを続投させて、デアデビル役のチャーリー・コックスとフィスク役のヴィンセント・ドノフリオの熱演を再び見せてくれただけでこのドラマの価値は保証されているので、まぁ勿体無いな……みたいな感想に落ち着いてしまう。アクションも頑張ってたしスーツもカッコいいんだけどね。どうしてもNetflix版の全く隙がなく闘いの炎が燃え盛っている(実際第一話のオープニングから炎に落ちていく十字架シルエットのデアデビルという狂気)シーズン3のクオリティと比べてしまうとね……でも楽しかったです。このまま『パニッシャー:ワン・ラスト・キル』観ようかな。

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今年のマーベルでベストかも『ワンダーマン』

f:id:is_jenga:20260621030822j:image『ワンダーマン』完走!
いや〜とっても好きでした。マーベルドラマ特有の30分×8話という短さながら、時折起こりがちな序盤は派手に、中盤はオフビートに、終盤は急に駆け足になるようなそういった忙しさとは全く無縁の地味で小さな二人の俳優の友情と騙し合い。スーパーパワーを手に入れることは全く主眼ではなく、むしろそれを隠して生きている男の苦しさに焦点が当てられている。というか最終話に至るまで彼がスーパーヒーローになることはなく、というかむしろ最終回を観た今でも彼がヒーローになったかどうかは曖昧なまま、しかし彼はまさしく正しい選択をしたのだと胸が熱くなるようなラスト。

今作では非力な彼ら二人の前に立ちはだかるのはハリウッドであり、メディアによって左右されていく世論であり、一度炎上してしまえばもう居場所がなくなるような社会そのものなのだ。しかし本当にベン・キングズレーが素晴らしい。あの『アイアンマン3』のマンダリンというちょっと今となってはどうかと思うところもあるキャラクターがここに来てスポットを当てられていることが作品の内容とも重なってくる。こんなうまい企画をよく思いついたものだ。ワンダーマンというようなあまりに空想めいた名前のドラマで描かれるのは男性二人のゆるくもおだやかな愛情であるというのがとってもいい。

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この作品を観終わったとき、観客の心には映画のフィルムには残らないような二人の複雑で温かな関係が刻み込まれている。そう考えると、今作はむしろスーパーヒーローらしくない物語をマーベルらしくやり遂げた一本のようでもあり、それはマーベル映画の快進撃が始まる『アイアンマン』シリーズが持っていた"失敗してしまった男に再びチャンスを!"という精神性にやっぱり繋がるものではないだろうか。今作を観る前に抱いていた期待ーーというかあまりにも最高な予告編!ーーは『デアデビル』や『ムーンナイト』のような大きな物語(つまりMCU)に回収されないような小さなヒーローを描くようなドラマシリーズだと良いな、というものだった。それを少し裏切るような粋な最終回を観てしまったいま、やっぱりマーベルヒーローはいいものだと前向きな気持ちになるのだった。

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最高のカムバック、最高のラストショット『プルリブス』

f:id:is_jenga:20260621030505j:imageちなみに最近は『プルリブス』も完走しました。『ブレイキング・バッド』、『ベター・コール・ソウル』を母と一緒に観てきたので今回ももちろん二人で。最終回のラストのシークエンス、あまりにもカッコよくて母子ともどもウヒョ〜〜!!!って騒いでしまった。

『プルリブス』、レイ・シーホーンが中年のレズビアンの小説家を演じているだけでもうかなり最高なのだが、『三体』などのSF作品を凌駕する圧倒的な新しさで異次元の侵略ものを描いていて、もうマジで全編ずっと面白すぎて……この配信ドラマ戦国時代にほぼ一人芝居と言ってもいいようなこの脚本でシーズン1を走り切るヴィンス・ギリガンの圧倒的な筆力に痺れる。そして後半はある人物の介入により物語はまた別のツイストがもたらされ、それがこうしたSF作品では案外守られていない「同じ地球の上の他者」、つまりは他言語を用いる外国人(どうしたって移民排斥のアメリカの現状に対する意思表示に思えてならない、ICE OUT!)との言葉が通じない上での交流ーーもしくは衝突ーーとして描かれる。こんな超大作のSF作品でフォーカスが当てられるのが言葉の通じない隣人といかに対話するか?ということ、それは年始に観た『みんな、おしゃべり!』とも重なる(思えばこの作品もSF映画だった!)。本当に最高のシーズン1でした。ラストの台詞覚えちゃうくらいかっこいい。はやくシーズン2を!!!

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人生は素晴らしい、たとえ宇宙が終わろうとも『サンキュー、チャック』

f:id:is_jenga:20260621030141j:imageもちろん『サンキュー、チャック』のことを考えても涙が出る。あのダンスの場面、久々に大泣きしてしまった。すべてがあの瞬間に詰まっていて、それがスパークする輝きにぼくらすべての人が立ち会った。

間違いなくいちばん好きなマイク・フラナガン監督作品だし、もしかしたらいちばん好きなスティーヴン・キング映画かもしれない(それにつけてもフラナガンとキングの蜜月よ)。トム・ヒドルストンは間違いなくずっとセクシーだし美しい役者なのだが、彼をセクシーにまた道化のようなシュールレアリズムと共に撮ることは容易くても、こんなにさみしく温かいヒューマンドラマで、ある種の「語らない人間」(だから踊るのだ)としての等身大の姿を観れるなんて思っていなかった。

日本版ポスターが示すようにこの映画は間違いなくダンスムービーだし、物語そのものが踊ることを志向している。しかもスーツで!これは広義のデヴィッド・バーン映画であるとすら思う。なぜ踊るのか、なぜスーツ姿の男が不意に踊らねばならなかったのか。それはもちろん彼にはわからないし彼の人生を垣間見た私たちもわかった気がするだけだ。でも本当はみんなわかっている。わかっているけど言わないんだよね、この感覚がとってもスティーヴン・キングだと思った。秘密と禁句の匂い。『スタンド・バイ・ミー』以来の少年映画です。

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禍々しく瑞々しいフェミニズムホラー『落下音』

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『落下音』、今年観た映画で一番怖いと思った。ドイツの農村を舞台にした百年にわたる幽霊譚……というとロマンチックだが、そこに映るのは抑圧、暴力、搾取に晒されながらでないと生きていくことができなかった少女たちの眼差しであり、彼女たちが何度も幽霊のように写るのは何とかしてこの世界から抜け出たいと願っているからだ。だから全ての暴力を忘れたかのような集合写真の瞬間に彼女たちは姿を消す。

正直ずっと怖く、映画はずっと面白いのだけれど語りのペースはゆったりと錯綜していて物語の筋を追うのに前半は苦労した。一方で映像がたまらなく美しく時代もどんどん変化していくので無限に観ていられると思った。この過去の田園生活を懐かしんでしまうような感覚って人類共通なのだろうか。でもだからこそこの暴力の感覚を私たちは今だに生々しく覚えている。というか、この幽霊たちは全く消え去るどころか、この世界はいつまでも同じ暴力、搾取を繰り返しているのではないか。この「恐怖」に正体はなく、原因もなく、祟りの元凶もない。それはこの世界そのものでしかないからだ。なんと恐ろしい、なんと正統なフェミニズムと農村の恐怖映画だろうか。

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黒沢清が時代劇を撮るとこうなる『黒牢城』

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黒沢清版『黒牢城』ファーストインプレッション、そりゃあ楽しかったんですが、原作を(間に合わなくて2/3くらい)読んでから行った身としてはその演出のギャップに身体がびっくりしてしまって……特に前半とか、原作では荒木村重があの手この手で怪異を解き明かそうとしてそれが成せず、仕方なく黒田官兵衛のいる地下牢へ続く階段を降りることになる……という流れが今作では異様にテンポ良く官兵衛と村重が仲良くなっていく。まぁ正直地下牢が映った時点で「あまりに『蛇の道』すぎる!!」と思ったし村重と官兵衛の信頼と毒が入り混じった関係性とかも、たしかに考えてみれば『蜘蛛の瞳』や『復讐』二部作の男同士の奇妙な関係に重なる気がして、やっぱり面白いな……と思うのだがそれにしても困惑が強かった。

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「夜討ちは静謐をもってよしとする。馬はいななくので用いない。鎧が擦れると音を立てるので、腿を守る草摺を巻き上げ、紐でくくる。鉄炮を持つ者もいるが、火縄は目立つので隠し持つ。」米澤穂信『黒牢城』より

一緒に観た原作未読の友人(黒沢清ファン)が「面白かった〜!」と言っていて安心したのだが、それはそれとして原作の緻密かつスリリングな「夜討ち」シーンがあんな風にシュールな風景に料理されてしまうとそりゃあびっくりもするよ。その後の村重が不意に襲われる場面も原作だと「鉄炮が放たれ矢が射られ、硝煙が風になびくが、手練れ揃いの荒木御前衆がこの時ばかりは不思議に的を外した。」のような緊張感に満ちた描写で畳み掛けてくるので、黒沢清らしいのたのたしたアクションで人が死ぬ(なかなか死なない)というのは不思議なことが起きているように見える。いやこれが良いってのもよくわかるんだけどね。『ゼイリブ』のプロレスシーンみたいな。あっでも首実験のシーンのぞんざいさみたいのは戦の後のくたびれた感じと仕事感とでもその時の不注意が更なる問題の呼び水になっちゃう感じとか、白々しい朝の光の印象も強くてこれは映画版の方が好きな場面かも。その後の「えっ?敵将討ち取ってたの??」となって村重たちが走って移動するシーンとかも最高。あとはやっぱり吉高由里子演じる千代保との最後のシーン、あんな怖いシーンが突然くるとは思ってなかった。

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いや結局邦画ファンにとっては異常な豪華キャストに見えるこの作品(家臣の顔を全員知っている不思議さ)、個人的には北野武の『首』とか大島渚の『御法度』みたいな異色傑作時代劇という感じで大満足ではあるんですよ。オダギリジョーとか異様にかっこいいし、青木崇高の絶妙な間の抜けた感じとか。特に第一章に当たる「冬 自念」の容疑者たちが近年のホラー映画の顔役が揃っている感じで凄かった……『chime』の吉岡睦雄と『8番出口』の河内大和が続けて出てくるとかワクワクし過ぎてしまう。ラストシーン、ずっとそばにいた仲間がそれぞれ有岡城に帰っていくのを見届けて「黒牢城」(という物語)から去っていく荒木村重、なんだか市川崑の『股旅』を思い出すような青春の終わりと人生の始まりを思わせるショットで終わっていて、すごい不思議な読後感だったな。うーん、やっぱり自分はこの映画かなり好きなのかもしれない。原作全部読んでもう一回観に行きます。

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 映画『黒牢城』|大ヒット上映中

円城塔の"直訳"版ラフカディオ・ハーン『怪談』を読んだ。

 

円城塔が訳したラフカディオ・ハーン『怪談』、まるで異国の話を読んでいるような、もっというと『ウィッチャー』シリーズの妖怪(つまりゴブリン)のサブエピソードを読んでいるような不思議な手触りになっている。そしてすごく読みやすい。しかし、意外だったのは、その「怪談」の後に収録されているハーン先生の「虫の研究」。エッセイとも文化論とも言い難い不思議な文章で、急にハーン先生の生活や混乱、興味関心がグイグイ出てきてテンションが高くて面白い。たとえば「蚊」という文章はこんな感じ。

「自己防衛の観点から、ハワード博士の『蚊』という本を読んでいる。蚊はわたしを悩ませるのだ。近所には数種の蚊がいるが、うち一種が特にひどいーー小さな針みたいなやつで、銀斑と銀縞がある。刺しくちは電気ショックの火傷のように鋭く、その唸り音だけでも襲いくる痛みの予感を伴い、ある種の香りがある種の味を引き起こすのに似ている。(中略)そうしてわたしはあやつらが、我が家の庭の裏にある仏教徒の墓地からーーとても古い墓地であるーーやってくることに気がついた。」

「ともかく、我が仇敵が生まれ出てくるのは、これらの容器や花立てからであり、死者の水から何百万という数が湧き出てくるのだーーそうして仏教の教義によると、それらはまさに、当の死者たちそのものの生まれ変わりでありうるのであり、前世での過ちの代償として、ジキ・ケツ・ガキ、つまりは吸血餓鬼としての生を享けているかもしれないわけなのだ……。Culex fasciatus の悪行は、悪事をなした人間の魂があのやかましい体に封じ込められているからではないかと考えると得心がいくかもしれない……。」

こんなユーモア溢れる文章から、最後は私もこの土地で死にたい、仏教徒の墓に横たわりたい、そしてジキ・ケツ・ガキとしてミズタメの中で生まれ変わり、尖った声で歌いつつ、誰か知人を刺しに行きたいと締められるのすごすぎる。でも刺しに行きたいのは知人なんだ、とは思った。