純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

8時間26分の一瞬『死霊魂』

 8時間26分、最初は尻込みしたが、観ていくうちにだんだんと映画の語りの速度に浸透/信用してゆき、「何があったのか」に少しでも近づきたいのなら、ドキュメンタリーというものは本来こうした語りの時間を持っているべきなんじゃないのか?とすら思えてくる。それほどまでにワン・ビンの撮る語りの密度はすさまじい。

 構成としては収容所から生還した人やその家族にインタビューしていく映像を重ねていくだけと言えるのだが(状況としてはアウシュビッツ収容所における『夜と霧』を連想した)、それにしても驚く点は多く、一人当たりの語りのカットの長さと語りの熱量はどうしても異常であり、監督はこんな想像を絶する飢餓状態、生命の危機に瀕していた人々からなぜこんな語りが引き出せるんだ?この切り取られた10分の語りの密度はどうなっているんだ?と絶句するしかない。そして第1部から第2部へと、教育者の苦難が色濃くなっていくにつれ、語りも変容し、より彼らの語りの物語性(当たり前だが、フィクションだとかそういう話ではない)は強まっていく。特に息子とともに列車に飛び乗る話はそれ単体でもすさまじい劇的さを持ち、思わず涙がこぼれそうになった。たしかに異常な密度、長さの作品ではあるが、ワン・ビン監督の作品の中ではもっとも幅広い人々に観られるべきものだとも思う。

 しかし、ここまでのものを撮り上げながら、最後の収容所跡地(見渡す限り大量の白骨が未だに野ざらしになっている)を彷徨うワン・ビン監督自身のカメラ/眼差しのなんと絶望的なことか……それはまたこれを観た僕らに突きつける眼差しでもある。