純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

小説にすることと生きること『江分利満氏の優雅な生活』

 Netflixで『斬る』に続けて観たが、まさかこんな一見ゆるゆるなコメディが自分の最も愛する岡本喜八映画になるとは。ストップモーションとかミュージカルのような演出とか、お洒落で斬新なところも目を引くけれど、何よりこのショートショートのようなストーリーを引っ張るのは、何もなかったかのような男が「小説を書くこと」(もしくは「書かされること」)で自分の人生を発見していくという普遍的でありながら奇跡のような営みだ。自分の子供が休日に古本屋を往復するところから書きはじめた物語は、やがて時系列を無視してどんどん過去を語り繋いでいく。そしてそれは自身が目を背けていたのかもしれない「死」への欲求、それが綱渡りのところで辛くも回避されていく行程を優雅な言葉で語ることに成功する。その反面僕らだけが観ることができる小林桂樹演じる江分利満氏の姿は、情けなく、涙ぐましく、生きようと必死でもがいている。その落差が発露するのが素晴らしい「お茶漬け」のシーンだ。原稿用紙に書かれた「EVERY MAN」が彼を救ったのか?(そうでなくてもあのシーンは何故か涙腺にくる)

 「戦後」とか、「お茶漬け」とか、「母の葬式」とか、「奔放な父」とか、ところどころに小津映画、それも『東京物語』を彷彿とさせるシーンがあってそれだけでも泣ける。おそらく岡本喜八は一ミリもそんなことは考えていないだろうが、やっぱり父親役の東野英治郎が東京の風を呼び込んでしまう。この映画からフラッと出かけて東京で笠智衆と飲んだくれてそうな気すらする。しかし、それでいて最後にはちゃぶ台をひっくり返すようなあの演出。あそこまでは感動していたし信じてたのに。とんでもないよ映画だよ、だからこそ一生愛せる一本になってしまった。そういう意味ではどうしてもずっと愛してしまう小津の『生まれてはみたけれど』の不意打ちの感動に匹敵する、心の本棚に並べて大事にしておきたい映画。