純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

眠っている間に何かが起きた『たぶん悪魔が』

核軍備と環境問題の議論の後で、青年二人が乗るバスの停車時のカットがすごい。吊り革と靴と手摺とが連続して切り替えられてただバスが停車して人間たちが乗り降りするのにそれが騒々しいシステムのもつれ合いのように彼らには感じられているのだろうか。

いつも人物の顔が見切れているような画角で、それこそ今回のポスターみたいな絵画的な画面が続く。景色の一部が切り取られたような画面はその周りに広がっている世界はただ見えていないだけという思いにさせる。

ただ、観るのは二回目だけど再び寝てしまった。面白かったというよりはすごかったというような映画で、僕が眠っている間に決定的な何かが起きていたのか?と毎回思う。でもそういう映画のような気もする。ある人物の死について決定的な理由などないのだ、という虚無感と確信はファスビンダーの『13回の新月のある年に』を連想した。革命や不安の時代をまざまざと映し取ってしまう映画がある、そういう監督がいるというのが最近やっとわかってきた。用事があって久々に行った札幌で、なんとかシアターキノに寄って観た。行った回数はそこまで多くないけれど、北海道在住時代の思い出のミニシアターだ。