純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

黙示録のオリンピック『ジャッリカットゥ 牛の怒り』

 たまたまオリンピック開会式の日のレイトショーで観たので、上映後友人二人と映画館を後にしながら「……俺たちのオリンピックが始まったな。」と不思議な感慨に浸った。冒頭と末尾に黙示録が引用されるように、インドの端っこにあるキリスト教徒の割合がとても多い地域(ケーララ州)で行われる「ジャッリカットゥ」=牛追い祭りは果てしなく祝祭のムードを帯び、映画のラストシーンに至ってその狂騒のボルテージは最高潮に達する。チラシの裏で『ミッドサマー』のアリ・アスター監督が絶賛してたのも当然だった。夜のジャングルを疾走する男たちは聖火ランナーであるかもしれない。

 あまりに度肝を抜かれてしまって、ドキュメンタリーのようでありながらスピルバーグの『ジョーズ』『ジュラシック・パーク』のようなエンターテインメントとしての構成も見事で(監督もパンフで言及してた)、久々に訳のわからない巨大な黒々とした映画体験を味わった。去年でいう『バクラウ』『マンディ』あたりが近いかも。日本のポスターがインパクトを損なわずに最低限の説明をするいい仕事をしていると思うが、暴走する牛と共に荒れ狂う「群衆」を撮るぞという強靭な意思をこの映画から感じた。映画のドラマに慣れてしまっているとこういった人間の渦を撮ろうとする映画にふいに出会うと目が覚めるような思いがする。南米のマジックリアリズム小説とかも連想した。パンフのインタビューで監督が「群衆を美しく撮った映画」として黒澤明の『乱』を挙げていて、正直自分としてはそれに迫るほどの「美しさ」を今作も宿していると思った。

 細かいところだと、途中主人公と因縁を持っている村を追われた男が「狩りの名手」として凱旋してくる下りとかは非常に神話・物語的なのに、登場の仕方が『HiGH&LOW』の達磨一家みたいに車のボンネットに胡坐をかいたまま山道を上ってきて爆笑とか、騒ぎを聞きつけて隣町の若者たちがやってきて爆竹を投げまくってケンカとか、好きなところはたくさんあるんですが、昔のインド旅行で感じた道端のインド人全員面白い、というかちょっと神がかって見える感覚はボリウッドの豪勢なインド映画にはないもので懐かしかった。最後にトロント映画祭の監督の素晴らしい発言を引用して終わりたい。

 (この映画は)牛と人間、二つのフォルムを纏った暴力だと考えることができるのではないでしょうか。人間がいて獣がいて、映画が進むにつれ、両者の間の距離は徐々に消えていく。その最高点においては、両者の境は無くなり、そこにいるのは獣そのものです。そのような観点に脚本は変わっていきました。