純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

世界を滅ぼす確率に目を瞑る。『オッペンハイマー』

f:id:is_jenga:20240408120726j:image やっと観に行くことができた。観る前はかなり緊張していて、原爆を扱った映画としてもノーランのファンとしても不安だったのだけれど、観てしまったのちはむしろ興奮は少なく、どこかオッペンハイマーの虚無と絶望が伝わってきたような凪いだ気持ちになった。

 「広島・長崎が描かれていない」と言われているが、たしかに直接的な映像としては映らないものの、むしろ落とす前、落とした後のアメリカの人々を丹念に描いている。それはオッペンハイマーの主観に足を置きつつ、有名な原爆投下候補地の選定会議、落としたあとのロスアラモスの人々の熱狂、そしてアメリカ世論の変化と、3時間かけてこの後半部分を丹念に描いており、また「原爆は戦争終結を早めるためだった」という定番のロジックにオッペンハイマー自身が縋りつつ、常に自分が強大な光によって世界を消滅させてしまう恐怖に囚われ続ける。恐怖は常に遅れてやってくる。3時間という時間は出来事を描くというより、大きな罪が遅れて実感されることをどうしようもなく伝えようとしている(一方で後半はストローズの公聴会に視点が切り替わってしまうので、そのチグハグさも感じた)。俳優の顔をクローズアップで、IMAXで撮ることにあまり自分は関心がないのだが(DUNEの2作目とか)、このキリアン・マーフィーのクローズアップはとにかくすごく、というか映画が進むほどクローズアップが恐ろしくなっていく。それは観客が徐々にこの男の目に吸い込まれていくからだろうか。オッペンハイマーの有名な「我は死なり、世界の破壊者なり」という言葉は何度も出てくるにはいささか都合が良すぎる気もしたが、トリニティ実験で一人だけ防護用の眼鏡を外して破滅的な光を見つめ続けてしまうオッペンハイマーの業に、どこかこれを撮ってしまうノーランの瞳も重ねられ、それは同時にこの映画の閃光を浴びている観客にも重ねられる。あなたはこの人類の歴史/現実をどう見るか?

f:id:is_jenga:20240408120744j:image

 そして一番自分が良かったと思ったのは、量子論を扱った映画で"世界を滅ぼしてしまう確率"をずっと抱えたまま、最後にそれがこの現在も消えていないと提示するラスト。入れ子構造のようにアインシュタインを置いたのはすごいいいアイデアだと思ったし、巷で言われてたけど本当にヨーダみたいなアインシュタインに古き善き物理学の世界を滅ぼしてしまったオッペンハイマーを置いているのはすごくわかりやすいし、何重にもオッペンハイマーの中で世界が壊されていることを端的に映すのがうまい。最後になってみれば池に石を投げていたかわいいアインシュタインの姿もやがて原爆を落とす人類が重なっている。あの「地球の大気がすべて燃える」計算結果をアインシュタインに持っていくくだりは史実ではないらしく、それは映画として極めて重要な改変であると思う。アインシュタインを共犯者にするのではないが、古き物理学者に助言を、もしくは警告をしてもらいたかったのではないか。

f:id:is_jenga:20240408120819j:image

 一方で自分はロバート・ダウニー・Jrが演じたストローズを描く後半部分は起こっている出来事を追うのに一苦労であまりしっかりと追うことができなかった。オッペンハイマーを糾弾する彼や不倫を繰り返すオッペンハイマーを見つめる妻など、オッペンハイマーという人間を相対化する視点を多く置いているが、それがどこまで機能していたのかがあまり判断できない。フローレンス・ピューはこんな扱いなのか……とガッカリしてしまったし、正直これならどちらも出番は少ないながらDUNEパート2のフローレンス・ピューの方が良かったなと思った。しかしノーラン作品史上最も恐ろしいトリニティ実験場面は映画館で観る映像体験としてこの10年くらいのトップクラスだと思ったし、アインシュタインをはじめとする物理学者たちの中のオッペンハイマーがここまで描けていることに驚嘆する。やはりラストの運命が交錯し、明かされる数ショットが本当に凄まじかった。歪な傑作というほかない。f:id:is_jenga:20240408120753j:image

 

映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開

観賞前に読んで参考になった記事↓

Fan's Voice

観賞後に読んで参考になった記事↓

『オッペンハイマー』は本当に広島・長崎を描かなかったのか…原田眞人監督&森達也監督が激論|シネマトゥデイ