純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

死の花畑とグラウンドの便所『3-4X10月』

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 『その男、凶暴につき』に続いて新文芸坐で鑑賞。『その男、』とのギャップというか温度差というか、北野武フィルモグラフィーが暴力とユーモアに彩られているように、その作品群の豊かな混沌を一作に詰め込んだような作品だった。最後のオチはいわゆる「夢オチ」っぽさもあるんだけど、逆に無理矢理「フィクションでしたよ!」って言われる方がむしろ悪趣味っぽいというか、なにか作り手の現実が露呈しているような感触がある。

 でも「大友組」とか、破門されそうになってる危険な若頭のたけしとか、アウトレイジへと結実していくヤクザものの要素が一通り出揃っているのも面白い。あと勿論沖縄もそう。しかしガダルカナル・タカが異様に演技が上手かったなぁ……世田谷あたりと沖縄とで物語がやや分離していて、沖縄に行った途端に暴力が加速していくのだが、世田谷のタカが草野球チームやヤクザの兄弟分との悪口的な話芸で笑わせるのに対し、沖縄のたけしのギャグは露悪すれすれのものも多く、そういうユーモア方面でのスリリングさがあった。

 しかし、今作のたけしもやはり『その男、』や『ソナチネ』のように死に向かって歩く男であり、終盤のフラッシュフォワードの見せ方とかは凄まじい切れ味だった。あのオレンジの奇妙な花畑での場面はたけしが一足先に異界に寄り道してしまったかのようで、不気味かつ素晴らしい美しい。死が咲き誇っているようにすら見えた。調べたら「極楽鳥花」というらしい。新文芸坐に大きなフランス版ポスターが飾ってあったが、この極楽鳥花の中に佇む尊の姿であった。銃と花、銃と芸術、そして海。やはりゴダールを連想してしまう。

 ガダルカナル・タカの経歴や「フライデー襲撃事件」(今作の四年前)のWikipediaを読み漁っていると、そもそもタカがたけし軍団に加入するきっかけが草野球の助っ人だったり、フライデー襲撃事件でたけしとともに逮捕され、その後の正式な和解の場としてフライデー編集部と草野球の交流試合が行われていたり、そもそもたけしにとって「草野球」というものが現実に軟着陸するためのひとつの方法だったのだろうか。たけしも案外グラウンドの暑い便所に篭りながらこの映画を構想していたのかも。だからきっと、この映画の頭と終わりに二度便所から出てくる柳ユーレイは、どこかでたけしに取り憑かれてしまっているのだ。それはおそらく、マレビトや霊的な力の残る「沖縄」であろう。