純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

たくさんの名前、たくさんの場所。川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』

 

 めちゃくちゃ時間かかってたけど、やっと川本直さんの『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を読み終えました。今年の夏に読んでいたデイヴィッド・ハルプリンの『聖フーコー ゲイの聖人伝に向けて』がゲイの哲学史なら、こちらはゲイのアメリ現代文学史を織り直す試みだ。これが滅法面白い。自分は大学生のころケルアックに一瞬ハマってた時がある程度なので、その周辺の作家くらいしかわからなかったのだが、中盤のウォーホルやカポーティは非常に魅力的に描かれていて、今年何かと縁があった三島由紀夫と共にこの時代にあまりにも「現代作家」であった彼らをもっと読んでいきたいと思った。

 あと後半のイタリア編で語られる「アレクサンドロス三世」は石川淳の「普賢」でジャンヌ・ダルクの伝記を書こうとするくだりを思い出したりもしつつ、漫画『ヒストリエ』のあのへファイスティオンと並べても遜色ないインパクトがあった。書くほどに作家が陰鬱な歴史に引き摺り込まれてしまう。そしてどうしても好きなのは突如登場するチャウチャウ犬のマリリン。つい最近観たカウリスマキの『枯れ葉』の犬も素晴らしかったが、小説に犬が出てくることの強烈な効果を考えてしまう。マリリンの涎以外に何がジュリアンを起こせたろうか。年老いていくゲイの生活にマリリンは何をもたらしたのか。

 あと、面白いのは、冒頭に登場する80代の語り部があまりにも老いていない気がして、どこか大鏡でも読んでいるような気分になったが、この加齢と移動距離の問題は訳者川本直のあとがきで解き明かされる。ジュリアン死後のジョンの少年と犬と共にユーラシア大陸を巡る旅はもはや西遊記のようですらある。この「旅」がこの小説の語りでもっともフィクショナルなお伽話のように機能し(もちろんジョンの照れ隠しでもある)、まるで多和田葉子の旅する三部作のような浮遊する人々の感覚を感じた。旅をし、国籍も性別もない家族を集め、それがまた離散していく。ジュリアンとはまた別の死がそこにある気がした。