純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

結婚報告に「おめでとう」と言わない。『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ ——性と身体をめぐるクィアな対話』

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 森山至貴さんと能町みね子さんの『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ ——性と身体をめぐるクィアな対話』を読みました。いやぁ痛快!そして勉強になる。というか、やっぱり「勉強」の中にあまり入らなかった話をたくさん聞くことができる。

 たとえば、森山さんが言う「クィアの三本柱」では、①いろんな人がいろんな人のまま共にいること、②アイデンティティはプロセス、一貫していないということ、③喧嘩を売ること、と説明していて、これはもうクィアについて考えていく魅力に満ちた解説だと思った。そして自分が特に考えたいと思っていることは、多分「結婚」制度への疑問と、「SM」プレイなどの性行為と他者と自分の肉体の関係なのだと思う。

 この本の中でたびたび言及される、「クィアはあえて既存の制度に乗ることでそれを逸脱し崩していく」という考え方は本当に勇気が出るし、今回一番驚いた「未来に背を向けて死に向かって突っ込む」クィア・テンポラリティ論は本当に面白くて、自分の研究する無頼派の文学研究にも響いてくるのではないかと思った(メモ)。あと、能町さんの「結婚報告に「おめでとう」と言わないことにした」「出産報告には「お疲れ様でした」と言う」というのは本当に目から鱗で、自分の感じていたモヤモヤを認識できた。それが「幸福」であるかどうかの認定に乗る必要はないのだ。