純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

えがくとつながる。黒田硫黄『ころぶところがる』

f:id:is_jenga:20230807132712j:image 日雇いの帰りの電車で黒田硫黄の『ころぶところがる』を読みました。『茄子』以来のファンとしてはここにたやすく黒田硫黄の老境を見てしまいかねない。細野晴臣が『HOSONO HOUSE』からほぼ半世紀後に『HOCHONO HOUSE』を作ったように、この増殖し結合する黒田硫黄オムニバスの世界が再びやってきた。f:id:is_jenga:20230807132723j:image

 『ころぶところがる』は黒田硫黄の自転車エッセイ漫画という趣きを装いながら、たやすく想像力は宇宙に飛び立ち、火星の自転車が幽霊に自転車を作る話、ロードバイクで旅する三蔵法師など、江戸からSFまで幅広く描いた『茄子』よりさらに自由に筆が遊ぶ。そして連載版の最終回にあたる震災と自転車のエピソード、(数十年後も続く)夏の眩しさを捉えたラストショットはあの『茄子』の劇的な、人を食った、忘れられない一枚絵を思い出さずにはいられない。年々創作のスピードが落ちているのかと思いきや、今作や「もしも東京」展での巨大屏風絵など現代の「画狂老人卍」に近づいているとすら思う。

 一番好きなエピソードは三蔵法師星の王子さまに出会うというすごい話で、その最後で目から熱線を放って自転車を修理する巨大な沙悟浄(扱いはほぼ巨大ロボット)を一行が拝んでいる場面。連載時は穴を空けつつ追っていて、この話で傑作だと確信した。あと最も詩的で驚かされたのは「春の一日」かな。

 黒田硫黄『ころぶところがる』、本当に素晴らしい作品だし、自転車雑誌サイクルスポーツでの連載も、宮崎駿モデルグラフィックスで連載していた『風立ちぬ』とかを連想して楽しいんだけど、表紙だけはもったいない気がしちゃうんだよなぁ……カバーを外した時の装丁の美しさには息が止まったもの。

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