純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

言葉は風に吹き散らされて。阿部共実『潮が舞い子が舞い』

 ついに、阿部共実『潮が舞い子が舞い』を読み終わった。心に突き刺さるものを見てしまった罪悪感が散りばめられたような最終巻だった。それはファミレスに置き忘れられた同級生のノートだったり銭湯あがりの「夜の私服女子」だったりするが、二人乗りの水木の背中に書かれた文字は読者しか見ていない。

 全巻読み返してたので時間がかかったが、ギャグでもホラーでもないもっと透明な痛みをずっと描いている作品だった。それは罪悪感のようなもので、この世界に生きる人は誰しも抱えているが、その形は異なる。第103話の通り過ぎる人々を見る水木の目が限りなく透明に感じることがどこか悲しい。

 それを照らし返すのが「漫才的」な友達とのダベリ、掛け合いの時間で、言葉が乱反射してる時ってどこか何も見なくてもいい時間に思える。さびしいのは自分で何を見つめるか決めなくてはならないからだ。それは孤独を選ぶことだろうし、この由緒不明の罪悪感の置き場所を子らは見つけていくだろう。

 自分が知らないもの、わからないものを見つけてしまった時に慌ててしまう。こんなことは大人だってそうだし(潮舞いは大人と子どもの区分も曖昧だ)、顔を真っ赤にして恥いることをこの漫画は肯定している。自分だって小笠原や槍原やバーグマンのようになりたい。ならないだろうけど、なりたい。