純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

キー・ホイ・クァンに泣く。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

なぜか観ている途中で三回くらい泣いてしまった。『シャン・チー』も泣いたけど俺はとにかくカンフーに弱い。よく言われているけどたしかにクレヨンしんちゃんと同じエナジーを感じる。故に泣いてしまうんだよ……カンフーは滑稽だしカッコいいし自由だ。あの当時世界がなぜ『マトリックス』にあれほど熱狂したのか、やっとわかった気もする。

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しかし思い返してみれば、僕の涙の8割はキー・ホイ・クァンに持っていかれたと思う。彼のカンフーアクションが始まった時から号泣し、もうそこから彼が眼鏡を掛け替えるたびに泣いていた。眼鏡を外してはカッコいい……と泣き、眼鏡を掛けてはかわいい……と泣いていた。情けなくてとても優しいキー・ホイ・クァンからこんなにエロいキー・ホイ・クァンまで一気に観れるの、アジア中年俳優の過剰摂取と言っていい。あの情けなくもいじらしい表情は『イカゲーム』のイ・ジョンジェを思い出したし、夜の香港?での色気はやっぱりトニー・レオンを思い出す。この思い出すという行為もまた映画を観ることとと、ありえた可能性に思いを馳せる物語とが重なってくる。設定は全然違うけど、『ムーンナイト』のオスカー・アイザック過剰摂取と近いものがある。泣く。

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ミシェル・ヨーはもう言うことないですね……アクション俳優として成功した世界線の美しさにやっぱり現実のミシェル・ヨーが辿ってきた人生も重ねてしまってここも泣いた。この前のキー・ホイ・クァンのスピーチを思い出しても泣いたし、もうずっとそんな状態だった。映画全体に関してはちょっと長いかなと思うし、指がソーセージの世界線とかあの犬の扱いとかちょっとついていけないところも多いんだけど、もうこの設定にこのキャスティングをした時点で時代を象徴する新しい映画にはなり得たと思う。最後の親子愛もくどい気がしたし(クィアな娘とそれを認められない母を描くのであれば、離れてしまった世界線や受け入れた世界線を見せてくれてもよかった)、娘と恋人のイチャイチャパートはもっと見たかった(ていうかマルチバースの恋人を見せてくれよ!)。でもあの石ころとか、伝えたいことは120%伝わってきたと思うし、主演二人があまりにもキュートだったのでいいのです!