純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

母語を失うこと。岩城けい『さようなら、オレンジ』

f:id:is_jenga:20240220000151j:image 岩城けいさんの『さようなら、オレンジ』を読みました。難民の、移民の、女性たちの、オルタナティヴなファミリーの可能性を描いた一冊。途中からぼろぼろ泣いてしまった。しかし、この物語だって涙で始まり、誰かの涙によって自分の中の心を発見していくのだ。ゼミの関係で読んだが、"神さま"は今の自分に読むべき本を教えてくれたのかもしれないなとすら思った。オーストラリアに旅立った友人にも読んでほしい。

 この作品において女性たちはお互いにケアな存在であり続ける。言葉や文字を教えあい、そして言葉にならないトラウマと共に生きていこうとする。

"娘がいなくなって、私にはなにも残っていないと借じていたのに、先生のおっしゃるとおり書くことが残っていました。論文といういずれ干物になる運命のものであることだし、何世紀か前の乾いた材料を使うので気が楽で、しかも英語だと主語と述語の距離が近いこともあって大胆になれます。この作業をしているときだけ、娘のことを考えておらず、思考と肉体が一致していると感じられるのです。しかし、私は本当にこの言葉で思考できているのでしょうか。"