純粋なのは不死ばかり

文を隠すなら森。

プレイすると時間が経つ。『ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット』

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 なぜ自分はこんなに『ディスコ エリジウム』にハマったのだろうと考えてみると、これが紛れもなく書かれた言葉による書かれた言葉のためのゲームだからだと思う。『ハリーポッター』全7巻を超えるテクスト量とかそういう事ではなくて、物語を進めることよりも些細な文章を読む快楽が勝ってしまうのだ。

 それは聞き込みをしていたらどう考えても事件と関係のない自慢話や街の噂を聞かされたり、拾ったアイテムの説明文だったり、はたまた自分の伸ばすスキルの冗長かつ異常な解説文だったりする。それが「全ての記憶を失った刑事」という常軌を逸した設定によって、全ての文章が平等に並べられ、輝き出す。

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 テキストを読んでいく過程で、途中から重要な情報を選別するのではなく、その言葉の海に沈んでいくことが心地よくなっていく。これは殺人事件の捜査としては最悪の状態なのだが、それこそが「記憶を失った最低の刑事」のロールプレイとしては超楽しい。しかし、失った記憶の代替として現れる24の人格がまた曲者で、彼らは過去の自分の声に他ならず、また記憶がない故に彼らを統合できず、分裂した人間として振る舞うしかない。しかし、ゲームの中に書かれた文章は捜査の手がかりとして浮上する文章として二重の過去を背負っているが、その中で唯一未来の言葉を持っているのが相棒のキム警部補である。

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 キム警部補の言葉は、こちらが選択肢を選んだ結果で同意されたり嫌悪されたりする一方で、根本的に過去の主人公を知らない、はじめて組まされるバディなのだ。そして同時に、この捜査にあたる唯一の仲間である。彼の存在は何よりも主人公にとって唯一の未来の言葉として機能するところにあると思う。

 こんな言葉の海に溺れるゲームプレイが他にあったか?ーーいや、自分に刺さった理由はそこにある。自分が愛した2本のゲーム、『LISA: The Painful』と『The friends of Ringo Ishikawa』を思い出す。これはどちらもテキストに溺れる心地よさがそのまま彼らが生きている世界を示していたと思う。

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 世界を探索するとテクストが現れる。文章はそれだけでは報酬にはならず、物語を進める上の手がかりになるーー訳ではない、ただ出会った文章を読んでいる時間を想うようなゲームが好きなのだ。ちなみにディスコエリジウムもリンゴイシカワもゲーム内で本を読むことができる。読書中も画面に表示されるデジタルな時間は止まらない。どちらも自分の時間が否応なく流れていってしまうことを意識しながら生きていく。そういうゲーム、そういう彼らが好きだ。

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